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眠い。

 投稿者:エイチ  投稿日:2016年11月28日(月)11時51分42秒
返信・引用
  眠い。
眠い。眠い。ぬくぬくと眠りたい。
 
 

俺という生き物は

 投稿者:エイチ  投稿日:2016年 9月 3日(土)21時03分40秒
返信・引用
  分類で言えば作家だったんだろう。
ただ、ノウハウを積まなかったし、それよりもなによりも才能が欠如していた。
つまり、縦の線は作家でも、足切りの横の線ではそこらのクズだったわけで、
なるほどであるのだけど、今更気付くのもたいがいである。
これが阿呆である。
 

(無題)

 投稿者:エイチ  投稿日:2016年 9月 3日(土)20時48分12秒
返信・引用
  感情の求める結果のために理屈を走らせるのが自分の脳みその使い方だったけど、
脳みそが走る結果に感情が「もういいよ先に行って」ってなるのは初めてかもしれない。
本当に頭がいい人たちは、これとどう付き合ってるのだろうか。
うん、まあ、今更知ってもしょうがないんだけど。
 

鉄面皮

 投稿者:エイチ  投稿日:2015年 9月 8日(火)20時01分10秒
返信・引用
  と鉄の心臓。鉄の脳味噌。  

さめざめ。

 投稿者:エイチ  投稿日:2015年 8月16日(日)22時24分43秒
返信・引用
  きしーむーこころにぃー
あーいーだぶりゅはーぱーぁー
おっつけーながすわぁー
さんとりー おーーーるふりぃいぃー。

サノケン気の毒すぎる。
監督不行き届きだけどさ。
いつのまにかここは、あれをしかたがないねと言えない世界になっているのであった。
 

それは

 投稿者:エイチ  投稿日:2015年 5月16日(土)00時46分10秒
返信・引用
  本望と言えばそうかもしれない。
ただ、ならば、もっとそうあるべきだった。
もはや今更でしかないけど。
 

なるほど。

 投稿者:エイチ  投稿日:2015年 5月16日(土)00時14分34秒
返信・引用
  僕がなにを発信するかを(善し悪し含め)気にしている人はいるのだけど、
僕が何を受信しているかを気にしている人は皆無なのか。

なるほどー。

なるほどー。


40前になってようやく気付いた。

なるほどー。
 

なんか

 投稿者:エイチ  投稿日:2014年 7月22日(火)19時20分6秒
返信・引用
  書いとこうっと。使ってなくても突然なくなると寂しいもんだし。  

恍惚の宿木

 投稿者:エイチ  投稿日:2012年 8月 1日(水)03時34分6秒
返信・引用
  サーバーが落ちてる模様。
もう閉鎖なのかな。

ちょっと前は見られたんだけど。
 

東京国立博物館特別展「誕生!中国文明」。

 投稿者:エイチ  投稿日:2010年 7月12日(月)12時43分56秒
返信・引用 編集済
  http://www.tnm.go.jp/jp/servlet/Con?pageId=A01&processId=02&event_id=7411

サイトはそのうち消えるだろうから、保存のために企画内容を転載。
画像も上記サイトから転載。

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 河南省(かなんしょう)は、中国大陸を西から東へ流れる黄河の流域に位置する中国王朝発祥の地です。かつては幻の王朝とされ、近年中国最初の王朝であったとする説が有力となっている夏(か)の中心地は、河南省にありました。以後、商(しょう)(殷(いん))、東周(とうしゅう)、後漢(ごかん)、魏(ぎ)(三国時代)、西晋(せいしん)、北魏(ほくぎ)、北宋(ほくそう)などの王朝が河南省に都を置きました。夏が始まった紀元前2000年ごろから北宋が滅亡した12世紀ごろまで、河南省は中国の政治、経済、文化の中心地として栄えました。王朝、工芸技術、文字(漢字)など、中国文明を特徴づけるさまざまな要素が、この河南省で生まれ、発展したのです。

この展覧会は、三つのテーマで構成されます。第1部「王朝の誕生」では、文明の誕生と深い関わりをもつ古代王朝の誕生と展開の歴史を、王朝の権威を示す祭器や財宝によって明らかにします。第2部「技の誕生」では、豊かな暮らしへの願望から、中国文明の特色の一つである高度な工芸技術が次々に生まれていった様子を、精緻な工芸品によって示します。第3部「美の誕生」では、現実の世界や宗教的世界を表した書画、彫刻などによって、中国芸術の伝統が遠い昔に生まれ、発展してきたさまを示します。青銅器、金銀器、漆器、陶磁器、壁画、彫刻、文字資料など、約150件の名品を通じて、中国の歴史に思いをはせていただければ幸いです。

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 青銅祭器萌え。とくに周の時代まで。なんというか、文様に念を感じるとでも言おうか、ただの飾りではなくて呪術としての文様に畏怖と威光を感じたわけであります。見どころとして紹介されてる動物紋飾板・方か・九鼎八簋・金縷玉衣は、まさにまさにみもの。ぞくぞくするぜ。
 伝説の王朝「夏」の実在を示すか?とワクテカな二里頭遺跡。そこの出土品、トルコ石を細かくはめ込んだきつねっぽい「動物紋飾板」。面白いのが、商(殷)時代の「方か」などの青銅祭器の目立つ場所にある文様も、似たような感じで目がふたつ。それが、周の時代のものになると、龍のモチーフに変わる。民俗学的通説では龍は河の神格化とされるらしい。周が中国初の広域支配を打ち立てた王朝と仮に考えると、広大な黄河流域を支配下に置く王朝として、そりゃ黄河=龍を王朝の紋にしたくなりそうだ。では、商以前の「眼がふたつ」は何の神格化だったんだろうか。「商」はあきないを指す漢字だけど、語源は商の王朝にあるらしいとどこかで読んだ。商の人がやってる生業と同じことを営む人を商人と呼ぶようになった、ということらしい。であれば、商という国家は領土国家というよりも商王を盟主とした都市国家の商業ネットワークみたいなものと想像できる(周も領土国家ではないらしいけど)。というか、シロウトだからもう、勝手に想像しちゃう。商が盟主たるために当然軍事力は行使しただろうけど、というか、やはり軍事力が最初に物を言うのだろうけど、であれば、「動物紋飾板」はキツネじゃなくて狼なんじゃないかなぁとか。
 できれば、出土品や装飾品の当時の使用シーンを小さくてもいいからイメージにして欲しかった。学術的な正確さを期して避けたのかも知れないけど。「想像図」の但し書き付きでもいいから。それと、後漢~唐までのものがほとんどなかったのは何でだろうか。河南は常に「中華」で在り続けたので、三国以降のもそれなりにいろいろ出てると思うのだけど。ん、でも、前漢の金細工も綺麗だったけど、北宋の陶器とか俑も綺麗だったけど、やっぱりやっぱり商周時代の青銅器だ~、歴史ロマンだ~、萌えた~。
 人が4000年前に思いを馳せてるときに、俺が見た南アメリカの俺が見たメソポタミアのやっぱり中国がうんぬんオレ説をでかい声で語りまくるヒゲのおっさんと、すごーいすごーい言う赤いスーツのアラフォーおねえさんがうざかった。うるさいっつーの。みえねーっつーの。
 

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